「お客さまは神様です」というと、三波春夫のずいぶんと古い言葉になってしまいますが、でも「全てはお客さまのために」とか「視聴者が何を求めているかを考えて」とかいった言葉は現在でも頻繁に耳にし、ドラマや映画の製作業界でも当然のように使われています。「常に視聴者のことを考え、求めているものをくみ取り、作品作りに生かしましょう」などと‥‥。なんなら「商品は客のニーズによって作られているのだ」と語る人までいます。しかしこれは本当に正しい考え方なのでしょうか? もちろん完全な間違いなどということは無いでしょう。しかし取り敢えず「それが本当にお客さんのため(視聴者のため)になっているか?」と問われれば、はなはだ疑問に感じざるを得ません。
今回は、この当然のことのように使われている『お客さんのために』という言葉に関して、私なりの危機感を書き記してみたいと思います。
そもそもこの場合の「お客さん」とは誰のことでしょう? ご存じのとおり人の好みは千差万別。ですからこの場合の「お客さん」は「なるべく大多数の人」といったレベルの意味しかありません。しかも大体は「~と予想される」という言葉が付いてきてしまうでしょう。つまり、そこに明確な根拠など無いのです。まあ「俺には世間のニーズが見える」という強者もいるでしょうから、そこはいったん置いておいたとして‥‥。しかしもし仮に、「大多数の視聴者が求めるもの」が本当に判明したとして、そしてそれを各映画会社やテレビ局がこぞって製作したとして、それが果たしてお客さんの望む状況と言えるのでしょうか?
例えばもしあなたがスーパーに行くお客さんだとして、いくら『大ヒット商品』や、それを真似した『売れ筋商品』だとしても、ただそれが大量に置かれているお店に行きたいでしょうか? それよりも、パッと見では一般受けしなさそうな商品も含め、色や形や味など様々な種類の中から選べるお店の方に魅力を感じませんか? つまりお客さんからすれば、「お客さんが求めるもの」という名の下で最大公約数の作品ばかり作られるよりも、様々な種類の作品を作って貰える方がよっぽど嬉しいはずなのです。そうやって考えると‥‥「お客さんの求めているものを」というのは、実はあくまで売る側・作る側の論理で、決してお客さんのための発想では無いことがわかります。
もちろん作る側が「多様性を確保する」というのは、それなりの余力がなければ出来ないこと。現状、この業界にその余力があるとは言えません。しかし「作品は常に、こちら側の論理で作られているんだ」ということ。実はお客さんは「数少ない選択肢の中から選ぶことしか出来ていないんだ」ということは自覚しておくべきでしょう。そんなお客さんの方から見れば「お客さんのために」などという言葉はある種のエクスキューズにしか聞こえず、「しのごの言ってないで、そっちが最高だと思うものを作って見せてくれよ」と思うに違いないのです。
そんなの「大した差ではない」と考える人もいるかも知れませんが、しかこれはまさに作品作りの出発地点、基本原理の話です。そこでは小さな差でも、ゴールでは大きな差となって現れるという重要な問題だと思うのです。
そしてそれに付随して、危機感を感じていることがもう一つ。それは「お客さんの求めているものを」の反義として、「お客さんが求めないものはいらない」「お客さんが解らない要素は削除しても構わない」といった考えが増殖してきたように思えることです。これは私がこの業界で仕事を始めて数十年の内でも、急激に変化してきたなと感じることで、映画やドラマなどが『品質の規定』の難しい商品であることを利用した、いわばこの業界特有の「手抜き現象」だと思えるのです。
『Dot Contrast パネルコントローラー』『64色軸カラーイメージコントロール』『量子ドットリッチカラー』、これらの言葉をご存じでしょうか? 恐らくほとんどの人が「聞いたこともない」と答えると思います。これらは実は、シャープ・東芝・パナソニックの各メーカーが、現在販売している液晶テレビに投入している新技術だそうです。でも、誰もそんな技術を知りませんよね? そしてテレビを買う時に、それらを検討して購入する人もまたほとんどいない事でしょう。つまり多くの人にとっては、これらの技術が導入される以前の画質で充分なのです。しかしそれでも各メーカーは、コストが掛かるにも関わらず試行錯誤を繰り返し、技術を投入する。それはもちろん業界の進化を止めないためで、長期的な視点によるものでしょう。そしてそれが、結局はお客さんの幸せにも還元されていくと考えているのです。
我々の業界だって同じはずです。業界の将来を作って行くのはあくまで作る側である私たち。「お客さんが求めているかどうか」といったレベルとは別に、その道のプロが「もっと良いものを」と考え、粘り強く試行錯誤していかないかぎり、自分たちの未来は萎んでいく一方なのです。
とまあ長々と書いてきましたが、現状、我々の仕事にはほとんどの場合クライアントがいて、その意向や作品の置かれた状況に強く左右されることになります。思うように行かないことも多々あると思います。しかし大事なのは、自分がキチンと哲学(考え)をもっているかどうかです。例えばいまは制約の多い仕事をしているから仕方なく「手抜き」をしているとしても、それでは制約の少ない仕事に出会った時にどうなのか? もっと時間やお金の余裕があった場合に、自分はちゃんと質の高い仕事が出来るのか?
人数は少ないものの、私が今までに出会った優秀だと思うスタッフ達は、常にそうした哲学を持って仕事をしていたように思います。仕事の状況はさまざまですが、しかしとにかくその状況で考えられるベストを目指す。諦めずに模索し続ける。私も、そうした姿を見せて貰ったおかげで今の自分があると思っているので、改めて気を引き締め、これからは若い世代にその精神を引き継いで行かねばならないと思っています。