映像事業本部 横尾初喜です。40歳です。
映画、ドラマの監督をやっています。
主な作品
[ 映画 ]
「ゆらり」 出演 岡野真也 内山理奈 鶴田真由 他
「こはく」 出演 井浦新 大橋彰 鶴見慎吾 他
[ ドラマ ]
フジテレビ「スキャンダル弁護士 QUEEN」
Paravi「tourist」
フジテレビ「ぼくは麻里のなか」 他
wowowにて2月23日(日)放送の
「父と息子の地下アイドル」
の撮影に本日から入ります。
次作の映画の準備も年内インを目指して進めていますので
またこのブログでもご報告できたらと思っています。
今は映画やドラマの監督をやらせてもらっていますが、
自分は映画ドラマの世界で下積みを積んできていません。
ミュージックビデオでの現場下積みから始めた22歳の自分が
今の姿を見たら「夢」のようでしょう。
自分がなぜ今、映画やドラマの監督をやれているのか。
たくさんのきっかけや出会い、繋がりがあってのことですが
振り返ると、下記の3つが今の自分を作っているように思います。
➀「夢」を諦めることをやめる
➁「夢」を語り続ける
➂「夢」を共有する仲間を作る
今回はこの3点について書きたいと思います。
➀「夢」を諦めることをやめる
自分は中学、高校とバスケットボール部のキャプテンを務めていました。
仲間にも恵まれ、全国を目指せるチームであったため
将来はプロのバスケットボール選手になれたらと密かに思っていました。
しかし当時、自分の身長は168cm。
「こんな身長でプロになれるわけないだろう。」
高校3年生になった時には、身長を理由にその夢を諦めていました。
そんな自分に雷が落ちるような事件が起きます。
夢を諦め、大学に入り普通の学生生活を送っていた時。
ふとつけたテレビで、衝撃のニュース映像を目にしました。
能代工業(バスケの名門校)のエースだった田臥勇太選手(身長172cm!!)が
アメリカへ渡り、挑戦を続けた末、NBAのコートに立っていたのです。
あまりの衝撃に涙が出たのを今でも覚えています。
バスケ好きの方は誰もが知っている安西先生の名言
「諦めたらそこで試合終了だよ」
自分はこの時から「夢を諦めること」をやめました。
➁夢を語り続ける
大学時代に映像の道へ進むことを決め
(ちなみに当時自分は経営学部でまったく映像の知識ゼロ)
それはそれはツライツライ下積み期間に入りましたが、
諦めることをやめた自分は、絶対に上へ登ってやるという気持ち一心で
26歳で監督になります。
映画やドラマの監督はいっさいできずでしたが、
いつか撮ってやるという思いを胸に秘め、
ミュージックビデオやテレビの仕事をこなしていました。
そんな折、ドキュメンタリーの仕事で
中国出身の人間国宝とも言われる
音楽家 ウー・ルーチン氏の取材をすることに。
インタビューを終え、少し時間が余った際、雑談が始まりました。
とても穏やかな空気を持たれていたルーチン氏だったからでしょうか。
自分が実は映画やドラマをやりたいことを、雑談の中でポロッと話してしまいました。
するとルーチン氏からこう言われました。
「その夢はたくさんの人に毎日語りなさい。
そうすれば、夢は必ず現実になります。」
目から鱗の言葉でした。
やれもしないことを言うことが恥ずかしかった自分は
それまで、映画やドラマを撮りたいという思いは
胸に秘めたままだったのです。
この言葉を信じて、毎日周りに語るようになった結果
この2年後にドラマの監督をやることになります。
➂夢を共有する仲間を作る
26歳で監督を始めて1年ほどたった頃から
悩み続けたことがありました。
「自分に監督の才能があるのか?」
その当時、中島哲也監督や園子温監督など個性豊かな監督陣の活躍を見て、
不安になっていたのです。
1年ほどでしょうか。悩みに悩み続けた結果、自分なりの結論を出しました。
「夢を共有できる最高の仲間を作ろう」
バスケットもそうでしたが、映画やドラマも自分1人の力では何もできません。
それぞれの専門分野のプロがいて、チームの力がひとつになってはじめて、
作品が完成します。
映画、ドラマのチームが〇〇組と呼ばれる。
映画が総合芸術と呼ばれる由縁だと思います。
仲間を作ることを決めた自分は、新しい出会いがある毎、
自分の夢を語り、賛同してくれる仲間を集め続けました。
そして今、その仲間たちと作品を作っています。
今このブログを読まれていて、もし「夢」を持っている方がいたなら、
ぜひその「夢」を諦めず、「夢」を語り続け、その「夢」を共有できる仲間を作ってみてください。
最後に今の自分の夢をここに記して終わります。
「45歳までにアジア〜世界へ名の通った映画監督になる」