8月15日にふと思い出したこと

  • プロデューサー  加藤

今回もブログを担当することになりました。2度目でございます。前回も書いたし、しばらく自分の回は無いなあと思っていたら、前回から1年以上も経っていたんですね。自分の担当回をすっかり忘れていて、夜な夜な焦って書いています。歳を重ねるほどに時が経つのが早くなり、同時に忘れっぽくなってきているなあと痛感している今日この頃です。

ん〜、何を書こうかなと悩んでしまいますが、他の方が書かれているようなお仕事術や裏話、キラキラとしたエピソード等は持ち合わせておらず・・・そこで、つい最近見た地方の伝統行事と、その時に思い出した昔の話を書こうと思います。最初に申し上げますが、大した話ではございません。

中々珍しい「精霊流し」という行事を見てきました。映画の撮影で滞在していた長崎県でのことです。長崎市のメインストリートに、各家お手製の精霊船と呼ばれる飾り台を通り沿いに並べて、爆竹やロケット花火を打ち上げるのです。爆竹の破裂音が町中に鳴り響き、街全体が破裂音と火薬の煙につつまれるという、他県で生まれ育った自分(広島出身です)にとって異様な光景でした。

カーンカーンという鐘の音やバチバチバチという爆竹の音、ド〜ンという花火の音が混ざり合い、
耳をつんざくほどの音・・・

いや〜本当に凄かった!!コロナ禍ということもあり、長らくお祭りやイベントに参加してこなかったので、久々に高揚感でいっぱいになりました。どうやらこの伝統行事は盆前に死去した人の遺族が故人の霊を極楽浄土へ送り出すという意味が込められているそうなのです。

車道に溢れかえっていた爆竹の残骸を見て、ふと現実に戻り、今日は8月15日だ!と気付きました。(精霊流しは毎年お盆に行われているそうです)そして、8月15日といえば・・・終戦の日ですね。そんな時に少しだけ昔のことを思い出したのです。23年前の終戦の日、私が高校生の頃の話です。

はじめて学習塾というものに通った若かりし日、広島駅で外国人の方から「原爆ドームに行きたいのだが、どうやって行けばいい?」と質問されたことがありました。広島市の繁華街や原爆ドームは広島駅からかなり離れており、路面電車に乗らないと中々辿り着けません。折角海外から来てくれたのだからと、私は塾をサボってその外国人の方を原爆ドームまで案内することにしたのです。

クロアチアから来たと言っていた男性は原爆ドームに終始圧倒されていました。そこで、何とも答え難い質問を投げかけてきました。「ここまでやられて、日本は復讐心は持っていないのか」と。

そんなことを言われても・・・自分は高校生だし・・・復讐どころか80年代のアメリカ映画の影響で、アメリカ文化に憧れすらあるし・・・リバーフェニックス大好きだし・・・悩んだ挙句、これ以上ない適当な回答をしてしまいます。「日本人は忘れやすいんじゃないですか・・・?」

駄目な発言ですね。今思えば非常に駄目な発言です。しかし、その外国の方は意外な答えを返してきたのです。「素晴らしいよ!この国ではもう戦争が起きないね」と。原爆ドームの前で神妙な表情だった男性の顔が少しだけ和らいだ瞬間でした。

夜風に混じる爆竹の煙幕の匂いを嗅ぎながら、ふと、そんなことを思い出してしまいました。今ならその外国人の方の発言の意味が少し分かる気もします。忘れるということは、単に失念するということだけではなく、深い深い意味があるのだと。歳を重ねて忘れっぽくなったなあと悲観的だったこの頃でしたが、そんな思い出と共に、忘れることの大事さを感じた次第でした。長崎の伝統行事のおかげでちょっと救われた8月15日の出来事でした。

!)補足ですが、ここで“大事”と書かせて頂いたのは、“忘れる=許す、受け入れる”という意味合いでございます。戦争を純粋に忘れる、という意味では断じてありません。

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