テレビに夢見て日本にやってきました

日本歴9年目、業界歴5年目、
中国で生まれ育った私が何故日本でテレビをやりたいと思ったか、
そして何故この仕事を続けているかについて少しお話ししたいと思います。

日本でテレビやりたいと思ったきっかけ

小さい頃、近所の友だちと外で遊んでばかりであんまりテレビ見ない子でした。
中学高校は思春期特有の反抗心もあってか、中国のテレビでなく、K-POPにどハマりしてました。
高校の後半、K-POPへの熱も徐々に冷め、次にハマったのは日本のアニメブームでした。
当時は字幕付きで見てましたが、いつか字幕なしで見れたらいいなと思い、それが日本に近づく第一歩でした。

そして、19歳、大学2年生の夏休み、ここでは詳しくは書けませんが人生に
ある大きな出来事が起き、涙に暮れる日々を送っていました。
その時、現実逃避のために選んだのが日本のバラエティ番組でした。
中国のテレビにない斬新な発想、頑張っている芸人さんたちの姿…全てが私にとって新鮮で面白かった。
気付いたら自然と口角が上がっていました。
「テレビってすごいな、私も誰かに希望と笑顔を与えられるようなテレビ番組を作りたい。」と思いました。
それがきっかけとなり、2015年、大学の交換留学を利用し、一人で日本にやってきました。

テレビ業界に入って思ったこと

その後、2年間の日本語学校と2年間の大学院でのメディアの勉強を経て、ADとしてこの業界に入りました。

ただ思ってたのと違った。

最初に配属されたのは一ミリも興味のないスポーツ系の番組でした。
初めてにデスクに行った日は収録の前日の夜で、何日も帰ってないか半分屍化した先輩が何人か転がっていたのと微かな異臭が鼻に入ってきたのはいまだに覚えています。
初めての仕事は徹夜で収録準備してからの長丁場の収録で、スタジオの照明が暖かくて立ったまま寝てしまいました…
最悪…それが最初の感想でした。

初めてのメイン担当は宮崎県での外ロケで、アスリートと天才キッズの対決企画でした。
キッズアスリートのキャスティング、ロケ場所仕込み、美術技術の連絡、観覧集め、車輛…地方ロケというのもあって、全てが大変でした。
運よく周りの先輩や同期たちは、みんな優しい人で、不安な私を支えてくれました。
1ヶ月の準備を経て迎えた本番の日。雨予報だった天気も晴れて無事ロケは成功しました。

結果その放送回の視聴率が同時間帯トップを獲得し、局の廊下に紙が貼られていました。
私が担当した企画も放送回の最高視聴率を獲得しすごく嬉しかったです。

「多くの人に見てもらえたんだ」それが初めて私のやりたいことが実現した瞬間でした。

企画の仕込みで忙しくて帰れない日もあった、
先輩に理不尽に怒られる時もあった、
急にロケが入ったりなくなったり、プライベートの予定が入れられない日もあった、
日本語がうまく言えず理解してもらえない時もあった、
中国語を生かしてもっと給料のいい仕事やればいいのにと後悔する時もあった、

が…

何故この仕事を続けているか

「うちの子供がよくこの番組見てます」とロケ先で言われるこの一言が全ての辛さをエネルギーに変えてくれます。
テレビに救われた私がこのテレビで誰かの人生に影響を与えている。そう思うとやる気がみなぎってきます。

最後に

テレビ業界に入りたい方へ
この業界は変人の集まりです。
この業界を長く続けている人は夢と情熱でただただ進む人しかいません。
その夢は芸能人に会いたい、お金持ちになりたいなど人それぞれですが、
私みたいに自分が関わった番組が誰か一人の人生に何かしらの希望と転機を与えたいと思う人も少なくないです。
入るのは簡単だが続けるのに根性がないと難しいのがテレビ業界だと私は思います。
夢と情熱がある人におすすめです。

▲AD一年目ロケの休憩時間にロケ弁を食べる私

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